あがり症克服と自己改善のSEIWA話し方教室

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参 考 ス ピ ー チ 1皇后  美 智 子 さ ま
【長文スピーチの要旨】

国際児童図書評議会(IBBY)創立五十周年記念大会・開会式に於いて  (2002年9月29日)

  1998年、IBBYのニューデリー大会における基調講演を求められました。
私は、第二次大戦の末期、小学生として疎開していた時期の読書の思い出を(ビデオを通して)お話しいたしました。
  身近にほとんど本を持たなかったこの時期、私が手にすることの出来た本はわずか四、五冊にすぎませんでしたが、その中の一冊である日本の神話や伝説の本は、非常にぼんやりとではありましたが私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え、私に自分の帰属するところを自覚させました。


  私がこのたびバーゼルに参りましたのは、私自身がかって子どもとして、本から多くの恩恵を受けた者であったからです。
  貧困をはじめとする経済的、社会的な要因により、本ばかりか文字からすら遠ざけられている子どもたちや、紛争の地で日々を不安の中に過ごす子どもたちが、あまりにも多いことに胸を塞がれます。

  子どもを育てていた頃に読んだ、忘れられない詩があります。未来に羽ばたこうとしている子どもの上に、ただ不安で心弱い母の影をおとしてはならない、その子どもの未来は、あらゆる可能性を含んでいるのだから、と遠くから語りかけてくれた詩人の言葉は、次のように始まっていました。


生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に
母よ 絶望の涙を落とすな
その頬は赤く小さく
今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも
いつ 人類のための戦いに
燃えて輝かないということがあろう・・・


  このバーゼル大会が、たのしく実りあるものとなりますように。

読売新聞 記載

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参 考 ス ピ ー チ 2女優  高 橋 惠 子
【第1回知床リレーフォーラム基調講演】

長文スピーチの要旨

  知床の玄関口・斜里町に10歳から12歳まで住んでいました。夜中に流れ着く流氷の音を、わくわくするような、ちょっと怖い気持ちで聞いた思い出があります。
  一時間くらいかけて学校から帰ると、母親が用意した洗面器の水に手を入れます。いきなりストーブで温めてはいけません。かじかんだ手をいったん”解凍”するんです。


  知床にも4回くらい行きました。知床五胡、オシンコシンの滝・・・・。木がそよぎ、小鳥がさえずる音が、聞こえるはずなのに聞こえない。そんな静けさに、人を寄せ付けないような神秘的な気配を感じました。
  手つかずの自然の厳しさ、美しさ。15歳で上京して女優の仕事を始めてからも、生まれ育った北海道の自然は、自分を見失いそうになった時に支えてくれる私の原点でした。(省略)


  手つかずの自然は、先住民族のアイヌの人たちのおかげでもあるんです。
自然に神が宿っていると考え、必要以上に生き物を獲るることをしません。自然との共存は、永遠のテーマだと思いますが、アイヌの生き方に私たちが学ぶことも多いのではないでしょうか。(省略)


  知床の「温かさ」を一番感じるのは冬かも知れません。
皆さんにも、ぜひ冬の知床を目と耳と肌で体験していただきたい。知床の地には、地位や名誉を取り払い、一人の人間として包み込んでくれるような魅力があります。垣根をなくして人と人をつなぐ、そんな力があるのです。


  世界自然遺産になるという話は、夢のようで、かって近くで過ごした者としてうれしく、誇りに思っています。海外からも大勢の人が訪れてくれるでしょう。仕事で海外に行くと、日本の四季の素晴らしさを改めて感じます。
  これをきっかけに、繊細で、それでいて力強い日本の自然を、もっと海外の方々にも知ってほしいと思うのです。


  北海道の地の果てに、手つかずの「宝」があります。それは私たちみんなの宝。私にも1歳になる孫がいますが、知床でしか見られない動物や植物を次の世代にも見せてあげたい。この豊かな自然を守るには、地元の人だけではなく、同じ日本に生まれた皆さんの協力も大切です。

読売新聞 記載

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参 考 ス ピ ー チ 3リンカーン大統領
1863年11月9日、ゲチスバーグの記念碑序幕式にて


  八十七年の昔、われわれの祖先は、この大陸に、自由から生まれた新国家を建設して、すべての人間は平等につくられたという主張をもって国是とした。


  いま、われわれは一大国内戦争をしているが、それは、このような国家が、はたして永続することができるかどうかの試練である。


  われわれは、この戦争の一大戦場に集まっている。われわれは、この国家を生かさんがために、ここで命を捨てた人びとの最後の安息所として、この戦場の一部をささげるために集まったのである。
(と、参集者に呼びかけ、この地に眠る勇士の勲をたたえたのち)


  世界は、われわれがここで話すことを、ほとんど注意しないであろうし、またながく記憶しないかもしれない。しかし、彼ら勇士がここで何をしたかを忘れることは、断じてできない。


  われわれは、これら名誉の戦死者が奉公のかぎりをつくした目的にたいして、われわれの奉公の念をいよいよ高めねばならない。すなわち、これらの戦死者を犬死にさせないように。この国に神の加護により新しい自由が生まれるように。


  人民の、人民による、人民のための政治は、この地上から滅びることはないであろう。

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参 考 ス ピ ー チ 4ル ー ・ ゲ ー リ ッ ク
ヤンキー・スタジアムでの別れのことば


  私は十六年間野球場を歩いてきましたが、その間、みなさまがたファンのかたがたから、ご親切と激励だけをいただきました。


  私は、私の左側のいるこの偉大な野球選手たち『殺人者横町』とあだ名された1927年の優勝チームとともに出場した大きな光栄を有します。また私は、私の右側にいる『ブロンクスの爆撃機』すなわち、今日のヤンキースとともに生活し、プレーしたことを光栄に思います。


  私はネット裏の記者席にいる諸君、私の友人のスポーツ記者諸君からも、名声と身に余る賛辞をいただきました。私は、野球はじまって以来の二大名監督ミラー・ハギンスとジョー・マッカーシーのもとで働きました。


  私には、青年時代私に健康と生活の安定を与えるために戦ってくれた父母があります。また私には、一生の伴侶であり、私がかって知らなかったほどの勇気を示してくれた妻があります。


  人びとは、私を不運だといいますが、しかし、今日、私はこの地上で、いちばん幸福な男だと思います。

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参 考 ス ピ ー チ 5吉 川 英 治
菊池寛賞受賞記念祝賀会にて


  じつは、この一週間ほどまえ、三月十五日、私の幼年時代の小学校の先生・・山内茂三郎先生・・にお会いできました。五十年もまえに教わった先生でございます。横浜の教育界にあること六十七年、ことし八十八歳になられます。


  残り少ない同窓生で、先生の米寿をお祝いいたしたいとのことで、私も駆けつけまして、横浜の山の手の一校舎で、老先生を中心に、楽しいお祝い日を過ごしたわけでございました。考えてみると、私は、過去に、あの学校生活というものの味は、小学校の校庭しか知らないのでございます。ですから、私には、恩師となつかしめるかたは、この老先生おひとりなのでございます。


  その晩、私は同窓生の人たち五、六名と、老先生ご夫婦をお連れして、よそへ食事に参りました。そして、米寿の赤いワイシャツを着た老先生とご夫人を床の間に、きれいな芸妓さんをあげて、子どもみたいな大騒ぎをやりました。


 先生は、この年で芸者さんと遊んだのははじめてだとおっしゃるんで、私たちは先生の晩節を破ったわけです。(笑い)それも愉快になって、むかし歌った「汽笛一声新橋を・・・」だの「箱根の山は天下の嶮・・・」なんていう唱歌を大声で合唱しだしますと、先生もお顔のしわに涙をためて、手拍子をとりながら、「箱根の山は天下の嶮」を歌われました。そしてぜひ、自分もきょうの記念会に来たいと言われ、わざわざ、きょうここに、横浜からおいでくださったのであります。(大拍手)


  まことになにやら感慨にたえなくなりました。先生が八十八歳、生徒の私が六十二歳です。七つ八つのころから、文字どおりイロハのイの字、ABCと教えていただいた先生を、五十年後のきょう、このような席に、お迎えすることのできたというのは、ながい人生としても、ことに私ごときに、望外なことでありまして、なんといってよいか、ことばにつくせない・・・(吉川氏嗚咽---満座粛然、ウエイター君までもらい泣き)・・・このうれしい機会を恵んでくださいました故菊池寛氏というありがたい友人、また日ごろ、仕事のため、不義理ばかり重ねておりますのに、寛大なご参会をいただきました満堂のみなさまに、厚くお礼とおわびを申しあげます。(大拍手)ほんとうにありがとうございました。(大拍手)

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参 考 ス ピ ー チ 6川 端 康 成
故 尾崎士郎への弔辞


  先年、国際ペン大会を日本で開催した時、尾崎君、君は親友の水野成夫氏に、日本ペン・クラブを助けるように頼んでくれたという。水野氏の肝いりによって、私たちが財界の大きな支援を得られたのには、君の口添えのお蔭だった。しかも君の口添えのことを私は君の死の日まで知らなくて、今、君の霊前に初めてお礼をいう。


  この一事のように、君は言わず、私は知らずして交誼四十年の間に、私が君に恩を受けたことが幾たびあったろうかと思うと、君の温容は目に浮び、君の温情は心にしみ、ひとしおなつかしい。
君の生きていてくれるということ、そのことが私の慰めとなり、救いとなったこともしばしばであった。同じ時、同じ世、同じ仕事に生きていたという縁は、年を加うるにつれ、さびしさの深まるにつれて、ありがたいものであった。


  これは君の死によっても、残された私たちに消えるものではないが、君は君のなかの私たちと共に去った。君は死の近づく病をおして、多くの思い出、思い出の人々を書き残した。その思い出は私たちのものでもあった。
  君の人柄、君の生涯、君の仕事について君の霊前で今言うには、はにかみを覚える。君の心やさしいはにかみを思い出す。ただ君と縁ある人々の健やかに恙ないことを君の霊前で祈る。尾崎君、長いあいだありがとう。
  君去って君のような人はいないのをどうすることも出来ない。

昭和39年2月21日










トップの画像は『自然悠悠』さんからお借りしました。

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