何を話していいか話題にこまるという人が結構います。日常会話には話しの種に事欠かないでハナシているのに、まとまった話にこまるんですね。
でも、しょっちゅう人前で話している人たちは、話の種が尽きそうなのに、逆です。もの書きも同じだろうと思います。書けば書くほど、次に書きたいものが出てくる。
まとまった話の種にこまるという人は、思い切って人前でどんどんしゃべればいいんです。日常が話しのことにかなり占められてきます。眼や耳にアンテナを取り付けたようなものです。今まで何気なく見過ごしていた事柄や眼に触れるものに、心のアンテナが反応します。
《必要は生みの母 》ですね。人の能力は使えば使うほど増えるとも言えます。
話材の集めかた* | 体験 (直接体験、間接体験) |
* | 日常生活の出来事を常に話題になるかどうかの関心でみる。 |
* | 新聞、雑誌で興味あることを切り取っておく。 |
* | 自分の得意な分野。 |
* | 前の人の話から話材をいただく。 |
専用の手帳を用意し、気のついたこと、感じたことなどをメモると、いつの間にかかなりの話材が集まります。

次に日常から拾った話題のスピーチを紹介します。
みなさま おはようございます。○○○○です。
みなさん江戸しぐさってごぞんじですか。以前なんですが、歩道を歩いている時に、後ろから自転車に乗って通り過ぎたおばあさんが、ふりむきざま私に罵声をあびせて行ったんですね。
おもわず私もムッとして「何だろう。このおばあさんは!」と腹がたったんです。
なぜあんな言い方をされなければいけないのか、ちょっと理解できなかったんです。
自分の落度にも気づかないで、おばあさんを一方的に非難してました。
先日、新聞の声欄に『感動しました。江戸しぐさ』という投書が載っていたんですね。それによりますと江戸の人々は、雑踏の中ですれちがう時は、おたがい傘をしぼめたり、あるいは肩をかたむけたりのしぐさを身につけていて、それを(江戸しぐさ)というんだそうです。
そうだったのか。私は自分の落度を棚にあげていたけど、狭い歩道を歩くときは、普段からお互いへの思いやりも大切だったんだと気がついたんです。
私は一年前までは新潟に住んでいて、いつものんびり買い物をしたり、歩いたりしていましたし、自転車も歩道を通ることはありません。都会の生活にとまどうことも多いんです。
普段からもっと思いやりをもって生活しなければということを、(江戸しぐさ)という言葉から教えられました。きょうは、江戸しぐさについてお話をしました○○○○でした。
(このスピーチは、うらわ話し方教室のT・Fさんが実修で話されたものです)