4 教えは興味の刹那をとらえる ![]() 子どもが興味を持っているときには、子どものいのちが内部から動き出しているのです。その刹那、刹那に教えると、子どもの心にストンと入ります。子どもの心が興味を持って動き出さないときに教えるのが詰め込み教育なのです。子どもは疲れます。 ![]() 5 子供は親を真似る 子供は親をよく見ていて自然と真似をしています。時にはこちらが恥ずかしくなるくらい、夫婦喧嘩の口調まで真似したりします。子供が親を真似るのは言葉や動作だけではありません。目には見えないところの心の姿まで真似をしています。 ![]() お父さんが女性の性的なことに異常に関心を持っていますと、娘は無意識的に父の関心のあるタイプの女性を模倣します。渋谷あたりをミニスカートで男の関心を買うことに夢中になってかっ歩している女の子は、父の心の姿を模倣しているとも言えるのです。 本当に子供を善くしたいと思う親は、親自身の心の姿を良くするように心がけねばなりません。子供の食べ物の好き嫌いだって、親が好き嫌いのある生活、わがままな生活をしているのを模倣しているのかも知れません。それほど子供と親は心の中で密接に関わり合っています。 子供にばかり小言を言って、それで子供を善くしようとしても、なかなか治らないのは親が変わらないからです。言葉で小言を言わないで、親が生活で示し、親自身の心をよくするように心がければ、子供はその親を模倣して善くなります。 ![]() 6 いい子は幸せにならない ![]() こうしたいい子は大人になってからも、人の気持ちに合わせた会話や話し方をするようになり、人間関係で疲れやすいのです。 幸せな人は子どもの頃から、のびのびと誰にも気兼ねなく自由に振舞えた人です。ところが大人から見るとこういう子はわがままな子に映るんです。いきおいしかって大人から見たいい子に育てようとします。 子どもが叱られて善い行いをしましても、本当の善い行いをしたことにはなりません。自由な意思ではなくやむをえず行っていますから、行いは正しくても機械的な行為にすぎないのです。叱ってさせた善い行いは大人の自己満足にすぎません。「えらいわねェ」「できるのねェ」とほめて、子どもが喜んで善き行いをするようにもっていきましょう。 ![]()
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