歌でもカラオケ的に満点の歌よりも、自分の持ち味を生かした歌の方がズッと楽しく聞けます。スピーチやコミュニケーションもそれと同じで、言葉づかいが標準語のように整っていなくても自分らしい話し方のほうが人に受け入れられ易いのです。

地方から来た人のなかには、自分の訛りや話し方を気にしている方もいますが、そんなことで話すことに抑圧をかけたら、その人の本当の良さや味わいが損なわれてしまいます。人とコミュニケーションをしたり、スピーチを聞いたりしていて心にひびいてくるのは、その人の話し方や会話のきれいさではなく、自分の思いや考えを素直にうったえるパワーです。言葉の言い回しやアクセントに気をまわしていたんではこのパワーは出てきません。
確かに地方弁まるだしでは不都合なこともありますが、言葉はみんなに伝わる標準語を用いたにしても、話し方やアクセントまで無理に矯正するのはどうでしょうか。私たちにとって必要なのは、楽しく話すことであり、そのままの自分を伝えることなのです。
スピーチやコミュニケーションでは、その人の人間的な味わいがパワーとなります。育った環境のことばが大切なのはこのためなのです。